天気図の前線をにらめっこして、今日はいける!と千葉へ。
午前中は波乗り、僕には乗りこなせないようなのが多かったけれど
ちょっとは乗れた。
午後は、怪我をしたお姉さんのお見舞いに病院へ。
3ヶ月ほどしたら歩けるようになるはずらしいですが
どうもじっとしているのが苦手みたいで、ちょこちょこ動いてる。
海の仲間の見舞いの品は、海の雑誌だったり、筋トレの道具だったりで
刺激強いものがおおい気がしたので
僕は、北海道の旅案内。みかんと一緒にもっていったら、よろこんでくれた。
文字ばっかりの、読みでのある本だから、ちょうどいいかなと思ってます。
ちょっと顔を出しただけなんだけど
海の話、バイクの話、男と女の話、よくしゃべる人で
挙句の果てにゲイにおっかけられた話までし始めてたら
家族がこられたので、また今度ということに。
同じフロアのお見舞いリストの半分以上が、そのおばさんだったんだけど
やっぱりもつべきものは友ですねぇ。
2014/11/03
お見舞い
2014/09/25
本を読みたい気分
かもめのジョナサンに完成版というのがでて
4章が追加になったのですが、なんともいえず。。
なんだか最近は味気のない本ばかり、よんでたのですが
また本を読みたい気持ちになってきて、積読状態。
部屋に本がたまるのが嫌で、図書館も使うようになりました。
はやらない本が好きなので、結構すぐ取り寄せられるんですよー。
2014/04/23
ゼロ秒思考術
ゼロ秒思考術なる本を流し読みして
お題をきめて、紙に書き出してみるのがいいとあったので
それはそれで、納得した。
ことばにならぬ考え事を、書いてしまえば具体的になるのだから。
そんな調子でちょっと続けてみたのだけど
「なぜ悩むのか?」とお題を設定したら
何にもかけなくなってしまった。。
2013/09/08
「カフカ 夜の時間」(高橋悠治) を読んで
高橋悠治は、音楽家で、文章も書きます。
文章は、ひらがなが多いけれど、短くて鋭いから、読むのが楽しみ。
最新版だから読み終えてしまうのはもったいないと思っていたけれど
結局読んでしまった。
「ピアノ全体をつかってできることにくらべて、たった四つの音をつかてできることの方が、どんなに自由であることか。ふくざつな十六ビートのノリより、一ビートの不正確さの方が、どれほどからだにとって衝撃的か。
一九六四年ベルリンから、自分のやってきたことをふりかえってみると、こんなにかんたんなことがわかるだけに、ほとんど一生の半分以上かかるのだ。」
「グレン・グールドは五十歳で死んだ。いまの五十歳といえば、まだわかい。だが、かれの死ははやすぎはしなかった。
かれだけではない。だれが死んだって、やりのこしたしごとなどないだろう。しごとの意味の方がさきに死んでしまっている。どこかでそれとしりながら、しごとをつづけているのが、いまの音楽家の運命だ。」
いつも彼は知的な書きぶりをするのに、こうした書き方がところどころに見られて、彼のたたかってきたものがわかってきた。
彼のひくゴルトベルクをはじめてきいたとき
この不ぞろいな音の粒をならべるのに
どれだけ苦悩したのだろうと想像をするだけで辛くなって
プレーヤをきってしまった。
それでもきくうちに、演奏のよさがわかったきたつもりだったけれど
やはり苦しかったのだろう。
本は、読みきってさびしいかと聞かれれば、まださびしくない。
いまの僕にはわからないことがあるから
じかんをあけて、また彼にひっくり返されてみようと思う。
2013/08/17
人間にとって成熟とは何か (幻冬舎新書)(曽野綾子)を読んで
曽野綾子って、どうも悪いイメージがあったんだけれども
本屋で手にとってみて、面白いはなしが多かったので読みきりました。
人間はきれいには生きれないし、ゴチャゴチャがあるよねと思う中でも
それなりに人間らしさを求めて生きていくバランス感覚みたいなものを成熟といっているのだと思います。
楽しく読めてしまったので、すこし僕も歳をとったということでしょう。
2013/05/06
年のとりかた
昼過ぎまで、寝たり起きたりしていたら
一日がおわってしまいそうだったから、外房まででかけた。
千葉のやまあいは、緑がまぶしくて、バイクだと風がすこしつめたかった。
外房の御宿という町に2時間ほどでついた。うみがきれい。
おそい昼ごはんは、なかなかお店がみつからなくて
ようやく木の看板、定食屋の案内をみつけた。
いかにも普通の民家、お宅訪問のような気分で足を踏みいれてみると
ただのダイニングルームだけど、メニューがぶら下がっているからには定食屋なのだろう。
「ごめんください」と声をかけると、70過ぎのおばあさんが出てきた。
いそいでるわけでもないから、ゆっくりご飯をいただいた。
畑で取れる野菜で定食屋、1年前に始めるといって聞かなかったご主人は80歳らしい。
おばあちゃんと話をしながらご飯を食べていると
「おじいちゃんも、若い人と話をするのが好きだから」といってつれて来て
三・四十分ほど昔話を聞かせてくれた。
昔は料理人で横浜にもいたらしい。
いまでも、自転車で千葉一周、アルプスに山登りにいったりするらしい。
僕が出かける頃には、庭で自転車を整備していた。
やさしい黄緑をしたイタリアの自転車は、30年前のものだという。
「好きなこと、すればいいんだよ」という、おじいさん。
おばあちゃんは苦労しただろうけれど、いい年のとりかたをしていると思う。
80歳ってことは50年前に30歳だったわけで1963年?
こういうところにくると、すこし未来の見え方がかわってくる。
2012/10/10
乗鞍
夜中にバイクで中央道をはしり、乗鞍の麓についた朝、登山バスに乗り換えた。
ちょうど紅葉が一番のとき、天気もよくて、バスの中では静かな歓声が上がっていた。
少し肌寒いなか、黄や赤に色づいた草木が
山肌を飾るように、あちらこちらでまぶしく光って
こんな光景を眺められるのは、なんと素晴らしいことだろう。
目に映るすべてのものが、色や形、距離感、動き、などといった成分に分解されて
やがて、もう一度、存在のよろこびに収束していく。
山頂からの下り道を歩いてみると、少しは霧も出て、晴れるのを待ったり、
今来た道をもどってみたり、 距離はちっとも進まなかった。
本格的に雲が出てきた昼に、山を降りて
星降る田舎の街道を走って帰った。
この湧き出るちからを、うまく一番大切な事に注げていないのが気がかり。

